ドストエフスキーの大作『カラマゾーフの兄弟』について「熱く」感想をお願いします。
初読の感想や再読の感想も交えて構いません。
大審問官、父殺し、女、金またはそれらのポリフォニーなどテーマはたくさんあります。
イワン、アリョーシャ、ミーチャ、フョードル、スルメジャコフなど個性のある人物がたくさんいます。
(いやそこられへんにいるかも・・・・)
皆様は何処がツボにはまったでしょうか?
色んな感想を教えて下さい。
kazuhiro69696さん
度々こんにちは(^J^)。
以前の「悪霊」に関しての質問についても少し書きましたが、自分的にはやはり、[大審問官]の章がツボにはまりました!
アンチキリストを次々と処刑していく90歳の大審問官の前に突然「奇跡」をもってあらわれるキリスト。
そして、その大審問官は、キリストを否定しながらも、悪魔と契約を結んでいることをキリスト本人に告白し、さらにキリストの名を持って民衆を引っ張っているという、諧謔的皮肉…。
その中でも特に、「自由」と「人間」について行った、キリストの罪を挙げる大審問官の対話(キリストは何も語りませんが)はとても印象に残っています。
神に一番近い立場にいる男が、一番人間のあさましさ、弱さを知っているため、一番人間臭いというアンチテーゼ。
そこにとてもハマった記憶があります(もう10年以上前ですが、インパクトが強かった為、割と覚えてます)
ところで[大審問官]の章の冒頭に、ダンテの「神曲」についての言及がありますが、
「カラマーゾフの兄弟」はドストエフスキー版「神曲」なのではないかな?と思った記憶があります。
「神曲」は地獄篇・煉獄編・天国編の3部構成になっていますが、
ことに「カラマーゾフの兄弟」では「三」という数字が多く出てきます。
たとえば兄弟は「3」人なことはもちろん、[大審問官]の章においての精霊による「3」つの質問、大審問官による
<反逆者の良心を征服し、幸福にさせる>「3」つの力等々…
自由奔放で欲のままに動き、最後に父殺しを行うドミートリィは「地獄」を、
怜悧で無神論者でありながら、常に救いを求めてるイワンは「煉獄」を
純粋無垢で常に神の愛を信じるアリョーシャは「天国」を
それぞれあらわしているように自分は思いました(考えすぎですかね?(笑))
いずれにしても、自分は「カラマーゾフの兄弟」はドスト作品では中々お気に入りです!
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