2012年4月26日木曜日

ダンテの《神曲》は 《地獄篇》から読みはじめないとストーリーは判らないですか?

ダンテの《神曲》は



《地獄篇》から読みはじめないとストーリーは判らないですか?







「神曲」は特に長編小説的なストーリーがあるわけではないので

ある意味、どこから読んでもわかるでしょう。



私は平川訳を平川先生ご自身の朗読で解説してもらうという幸運に与りましたが

「小説として面白いのは『地獄篇』だけで、

『煉獄篇』『天国篇』と進むにつれて神学的な話が多くなりますから・・・」

とおっしゃって、結局授業では『地獄篇』しかやりませんでしたね。



『地獄篇』には、ダンテ自身の友人や政敵を含め、

実在の人物が多く登場するので、

少し歴史の勉強をしておくとよいかもしれません。








そうですね。

普通に、順番通り読まれたほうが良いと思います。



ただ、私の個人的意見なのですが、

大半の日本人にとって、あの作品は、

ストーリーを味わうというよりは

音楽のようにリズムを楽しむべきものではないかと思うのです。



古今の典籍に通じた大教養人でない限りは、

はっきり言ってストーリーの細かい部分など理解できません。

いちいち注を追うのはあまりに煩雑です。

それよりは、細かい部分など無視して、低く音読しながら、

韻律を素直に楽しむべきではないかと感じるのです。



その意味では、日本語訳は、

岩波文庫の山川訳が絶対に良いと思います。

あの訳業そのものが、ダンテ自身の仕事にも匹敵するほどの

偉大な業績だと思います。

日本人しかこれを楽しめないというのは誠に惜しいし、

日本人ならこれを楽しまないと一生の損です。



私は山川訳を音読していると、

知らないうちに体が動きだし、踊り出したくなります。

内容にかかわらず、実に楽しい読書経験です。



というわけで、やはり地獄編から順を追って踊られたほうが、

じゃない、読まれたほうが、

たっぷり楽しめると思いますよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿